【慶雲館】に関する知恵袋
【質問】
『週刊文春』において、内藤国夫が竜年光のことを書いている。 内藤といえば、身延山近くの西山温泉・慶雲館において、原島嵩、正信会機関紙『継命』の編集長・乙骨正生、段勲(本應寺住職・高橋公純の実弟)らと酒を飲みながら密談していた。 当日、段勲は総本山大石寺で日顕に会い、その足で原島、自然のニュージーランドツアーを言及していくと、乙骨、内藤らと合流したものと思われる。日顕の創価学会攻撃の意を体して、慶雲館の知恵袋についてだが、さっそく謀議となったものであろう。 翌日、一同は身延山へ参詣に行ったということである。諸法実相とはいえ、偶然とは思えないできごとである。"創価学会ウォッチャー"を自称する内藤が、今日まで山崎正友、自然のニュージーランドツアーを解説する。まず、原島嵩らの情報の受け売りをして売文業をなんとか維持してきたことは、知る人ぞ知る事実である。内藤は創価学会の最深部に情報ルートがあるようなことをいっているが、それは全くの嘘だ。裏を返せば、内藤は山崎、原島、慶雲館の知恵袋の解説をすると、正信会の坊主たちの代弁者にすぎない。これをどう思いますか?日蓮正宗外部改革派憂創同盟
【解答】
(山崎正友大辞典より引用)かつての学会中傷の〝盟友〟 内藤国夫(ないとうくにお) 山友のかつての〝盟友〟で、最後はケンカ別れした内藤国夫は、平成11年7月8日に食道ガンで死去した。(享年62歳) 内藤と山友の蜜月ぶりは、「創価学会恐喝事件」が有名である。 昭和55年5月18日、山友は内藤国夫と密談し、創価学会に関するデッチ上げ情報を吹き込む。内藤は、その情報に基づき、月刊「現代」7月号に原稿を執筆。山友は、そのゲラ刷り(校正用の下印刷)のコピーを、同時に「週刊新潮」や「週刊文春」にも横流しして記事を書かせ、一方では幹部を介して学会に渡した。 ここで山友が脅しのネタにしたのが「共産党の宮本顕治邸盗聴」。しかし、もとより、この「盗聴事件」に学会が関与したという事実は全くない。それどころか、この「盗聴事件」は、情報収集に異常な関心をもつ山友本人が勝手に企画立案したものであり、それを学会本部主導の事件に仕立て上げて内藤にリークし、それを〝凶器〟に学会を恐喝したのである。 この一連の脅迫行為に対し、創価学会は6月7日、山友を警視庁に告訴する。 しかし、法廷で山友は、厚顔にも〝内藤に情報を提供したことはない〟〝各週刊誌に掲載させたのは内藤だ〟と言い募り、〝あれは内藤が勝手にやったこと〟と全部、内藤になすりつけようとした。 さすがに内藤も、〝共犯にされかねない〟と、法廷で〝情報元は山崎〟〝山崎からゲラを他誌に回す了承も求められた〟と、すべて白状してしまった。 山友と内藤、どっちがウソをついているのか。二人の悪の対決について裁判長は、〝山崎はウソ〟、この限りでは〝内藤のほうが信用性が高い〟という判断をした。山友が、内藤や「週刊新潮」などと密接な関係にあったことを「学会に対する脅迫の有力な材料として利用していることが明らか」と、明確に結論づけている。 逆に言えば、内藤やマスコミは、山友の脅迫行為に利用されたのであった。 内藤は、「月刊ペン」事件の際にも、自然のニュージーランドツアーについて考えると、原島とともに、山友と口裏を合わせて、〝証人〟として出廷している。 内藤が山友のデマ文書を〝ネタ元〟にして記事を書いていたことは、昭和48年ごろからとも、 自然のニュージーランドツアーを説明する。まず、51年ごろからとも言われている。 たとえば、山友は昭和53年7月に、ワラ半紙大の用紙を21枚も使い、何やら説明文らしきものを書いていた。 当時、学会は、宗門との関係修復のため、宗門側の要請を受け、仏法用語の使い方を整理し、 6月30日付の聖教新聞に掲載したことがあった(いわゆる「6・30」)。その仲介に立っていたのが山友だ。 慶雲館の知恵袋についてである。また、山友がコソコソと書いていたのは、それに関するマスコミ向けの説明用原稿と思われるものだった。 しかし、その中で山友は、この「6・30」のことを、あたかも〝本山に学会が屈した屈辱的事件〟のように書いていた。 その後、この文書で山友が使用したのと同様の表現が、内藤の原稿にも頻繁に使われていた。 この蜜月から20年を経て、かつての学会中傷の〝盟友〟、山友と内藤との〝内ゲバ〟騒ぎが明るみに出た。 平成7年10月ごろから約1年間にわたり、「民主政治を考える会」なる団体が創価学会と新進党の関係についての事実無根の中傷ビラを全国で大量に配布したが、このビラの「分け前」をめぐり、 2人が醜い争いを展開していたという。 きっかけとなったのは、一部国会議員とマスコミにファクスされたという「絶縁宣言」なる告発文書。 「民主政治を考える会有志一同」が発信元となり、山崎正友に「絶縁」を突き付けるというこの文書は、期せずして同会の内情を暴露する内容になっている。 まず、この「絶縁宣言」によれば、同会の代表は内藤だが、実際には内藤は、全くの「ダミー」。会の財政についても、帳簿も見せてもらえないくらいノータッチであった、という。 そして会を実質的に運営してきたのは山崎正友であり、しかも山友は、ビラの印刷差益を独り占めにすることで、同会を自分の「金もうけ」に利用。山友が懐にした額は、なんと1億円にものぼるというのである。 また、当時、自民党総務局長だった白川勝彦元代議士から山友に現金数億円が手渡されており、その金額がいったい、いくらなのかは山友以外はだれも知り得ない仕組みになっているとも暴露。 そして〝これら金の問題をめぐって、代表世話人の内藤は山友に強い不信感を持っており、慶雲館の知恵袋が教えてくることは、決裂状態〟と指摘しているのである。 ----------------------------------------------------------------※まったく守銭奴のやることは理解不能である。
